2025年3月12日

表現を通して、完全に伝わるということはありえないのだろう。
だからこそ、私は伝えたくて、表現をする。
むしろ、受け取り方は自由で構わない。
表現の循環によって、視野は加速的に広がっていくだろう。

私の咄嗟に選びとった言葉や仕草は、時に誰かを毒しただろう。
または薬になったこともあったかも知れない。
あるいは、どこへも着地せず消えてしまったこともあっただろうか。

だからこそ、大切に選びとっていきたいと思う。
表現をしていきたいと、思う。

2025年3月11日

高橋久美子さんの詩集を読んだ。

大学生の頃、軽音サークルに入り、彼女の綴った言葉を特に何の共感も無く歌った。
ただ、楽しかった。
チャットモンチーは私にとって青春の象徴だ。

詩集という形での再会が、私にとって味わい深く、発見であり、切なくもあった。
同時に、ああ、なんか寄り添ってくれるなあ。という根拠の無い親近感。
私はあれからずいぶん遠くまで来てしまったものだ。
作家として活躍する彼女に静かに励まされる朝だった。

2025年3月9日

「夢と現実の狭間で」

夢から覚めた直後は、映画が終わって皆でぞろぞろ引き上げていくときのような、どこかちぐはぐな滑稽さがある。
おいてけぼりの心は終わったはずの映画の続きを求めて彷徨っているのに、すべきことを淡々とこなす冷静さを持ち合わせる自分が白々しい。
夢と現実の狭間で、私はただ途方に暮れるばかりだ。

2025年3月8日


他者の表現を借りることは着ていくことだが、

自己表現をしていくことは脱いでいくことだ。

2025年3月7日




3歳の娘と、恋人同士みたいだと思った。



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くやしさは、バネにしよう。

明ける前の青


明ける前の青を眺めるのがすきだ。 
 
小さい人も、大きい人もまだ起きてはこない。 
 
しめった雪が世界の音を吸収して、 
 
くっきりと私が浮かび上がる。 
 
雪といっしょに、からだの底へとしずかに降りていく朝。

2025年3月6日

「子どもが休みたいと言ったときに 2」


子どもは日常をストップさせ、振り返りのきっかけをくれる。

6歳の息子が観たいと言ったアニメのYouTube。一つのお話が細切れにアップされており、中途半端なところで登園時間となってしまった。ちょうど悪役が活躍するシーンで終わったのも原因だろう。3歳の娘には恐かったようで、グズグズして幼稚園に行けなくなってしまった。

アルバイトに休む連絡を入れ、ひとまずゆっくりと娘との時間をとった。
娘の素直で繊細な心が愛しいと思う。
娘の心を脅かすイメージを吹き消し、心を愛で包むような世界を創造したいと思った。


幼稚園にお休みの電話をかけようとしたとき、「幼稚園に行く」と娘が言った。

2025年3月5日

「私と意識と表現」


ふと、意識はただの観測者なのかも知れないと、思った。

体感覚の意外性、または心に湧き上がる感情の意外性を感じることがたまにあり、以前から不思議に思っていた。
その違和感を観測しているのは意識だ。
ということは、心(気持ち)、体(感覚)とは別のところに意識が存在すると考えられる。
意識は自分のことも観測するし、他者のことも観測している。(他者の気持ちや感覚、思考は見えないが、表現は受けとる事ができる。)
意識は体や心と繋がり自分と認識するが、あくまでも意識は観測者なので、観測者が出しゃばればエゴになる。
意識は自分の中に生まれてくる気持ちや感覚を観測し、意識的に思考する事ができる。また、表現することで、外界とのコミュニケーションができる。

“意識とは内(自分)と外(世界)の中間に存在するものだ”
こう考えると、自分が自分であることを自然に愛する事ができるようになるかも知れない、と思った。
“意識=自分”ではないとすれば、自分が堂々と自分である事を“おこがましさ”や“恥じらい”などのフィルターを抜きにして認めることができるからだ。

ただ、意識はただ観測者であるだけでは無い。表現者であるとも言える。
そこに生きる本質があるのかもしれない、と私は思うのである。

2025年3月3日

「心に生まれたもやもやの役割」


“決めつけ”を伴う干渉は、それが親切心であっても、有害だ。
私は度々「干渉」によるもやもやを持ち帰る。
頭は大した事ないと思うのに、心はもやもやしている。
もやもやするということは、誤解を解き、理解してもらいたいのだろう。
けれど、「分かってくれ!」というのはただの押し付けだ。
静かにもやもやと対峙する時間をとることが私にとっては尊い時間だ。

心の中のもやもやは不意に訪れる。
このもやもやがあると、居心地悪くて、苦しくて、とっても悩むのだけれど、
でも、これは大切な感覚であり、心地良くなるためには必要なありがたいものだ。
もやもやを解いていく過程にこそ生きる本質があるとさえ思う。
あるいは繊細すぎるのかもしれないが、もやもやをキャッチできる能力は尊い。
私にとって文章を書くことや絵を書くことは、もやもやに対峙するという行為そのものである事がある。
自分なりに一つの答え、または問いかけを出すような過程を経て作品が生まれるからだ。
芸術表現はセラピーだ。

2025年3月1日

「息子が書いた日記」

今朝、3歳の娘と布団で微睡んでいると、先に起きていた6歳の息子が窓の外を見て言った。

「僕、『今日の朝、お母さんを起こしに行って窓の外を見たら、春を見つけた』って日記に書く。」

窓の外を見ると、溶けた雪の下から黒い土が見えていた。
私は息子の発見がとても素敵だと思った。また、それを日記に書くという発想に驚かされると同時に、4月から小学生になる息子の成長を感じ、嬉しくなった。

私は丁度『さみしい夜にはペンを持て』(古賀史健著)という本を図書館から借り、興味深く読んでいたところだった。
この本は、主人公のタコジローがヤドカリのおじさんとの出会いをきっかけに日記を書き始めるという内容で、日記を書く事を通して自分と対話することで思考を深め、内観していく様子が物語になっている。
私は主人公のタコジローに自分を重ね、共感していた。

そんなこともあり、息子が日記を書き始めた事に感心したのだ。
息子は、「お母さん!ここまで日記書けたよ!」と嬉々として見せてくれ、実際に書いた内容を読んで聞かせてくれた。

「きょうあさおきて、むぎちゃん(妹)についていって、まどからとびおりて、それからえんぴつをさがして、あさごはんをたべた」

「あれ?春を見つけた事は書かないの??」
私は困惑したが、子どもに親の願望を押し付けて干渉することは避けようと思った。

「僕、おばあちゃんの家でも日記を書く!」と、楽しそうに出かけていく姿を見送った後、
「私も日記でも書こうか」と、これを書いた次第だ。

2025年2月14日 

「気持ちを素直に言葉にできたなら」 

“表現”は、人の内面と外の世界を繋ぐ架け橋だ。 

生まれてくる内なる気持ちと行動が一致していると、その行動は表現と言えるだろう。 

安心して自由に表現できるという事が、心身ともに健全である為には不可欠だ。 


私は、もし周囲の期待を裏切る事が分かっていたとしても、自分の本心を曲げて上辺だけの返答をする事に強い反発を感じる。
 幼少期からあまり喋る方では無かった私は、今まで自分の気持ちを抑え、押し黙ることで自分の気持ちに嘘をつくことを回避し、世の中に適応しようとしてきたのだろう。
 しかし、現実の世界との間には常に大きな隔たりを感じ、生き辛さに悩む日々だった。
 
 大人になり、苦手なりにも言葉で自分の気持ちを表現したいという欲求が生まれた。
 今まで抑えられてきた私の気持ちは、フラストレーションによって過激に溢れ出た。
 気持ちを他人に見せることへの恐怖心から、不機嫌を装ってみたり、棘のある表現になってしまう事も多々あり、不器用なコミュニケーション能力による摩擦や不調和に落ち込むこともしばしば。相手に本心を伝えるというよりも乱暴にぶつけていると言える状態だっただろう。 

(今まで傷つけてしまった友人たちに心から謝り感謝の気持ちを伝えたい。)
 発言しようとすると、今でも心臓がドキドキしてなかなか言葉が出てこない事もあるが、失敗を糧に、気持ちと言葉を擦り合わせていくことに取り組む毎日だ。

2025年2月14日

「子どもが休みたいと言ったときに」

私には1つ上の姉がいた。保育園に通っていた頃のある朝、母に送ってもらった保育園の玄関先で姉が「休みたい」と言うと、私を残して母は姉を連れ帰った。それを見て、「え?休んでもいいの?私も休みたかったのに。」と思った。

翌日、私は姉を真似て、登園時の玄関先で「行かない」と母に主張した。ところが、母は姉に休む事を許したにも関わらず、私には休ませる気など無い様子だった。保育園の先生に抱えられ、無理矢理室内に連れて行かれた事に不満な気持ちでいっぱいになった。姉がずるいと思った。自分が不当に扱われたと感じ、とても傷ついたのをよく覚えている。


あれから約30年が経った。母となり、2人の子は幼稚園へ通う。

ある日、我が子が「幼稚園を休みたい」と言った時、幼稚園を休むことを素直に許す事が出来ないでいる自分にふと気がついた。

なぜ幼稚園に行かせたいのだろうと考えてみると、私にとって、子ども達が幼稚園に行き1人で過ごす時間は、自分に立ち戻り、ホッと一息できるひとときなので、私自身がその時間を欲していたのだということが分かった。


私は子どもたちが家庭でのびのび過ごせる空間を作ってあげたいと常々思っていたが、その前に自分が一番のびのびする事を欲していたのだ。

母である自分がまず心の声に従いのびのびと過ごさなければ、子どもがのびのび出来るはずも無かった。


私の中で「社会貢献をしたい」「稼ぎたい」「自己実現したい」といういろんな欲求が焦る気持ちを呼び起こしたが、これらの欲求は「自分の存在する価値を認めて欲しい」という他人に何かを要求するような動機から生まれたものだ。それらは全てエゴである。

さらに、私は子どもの頃から「こうあるべき」という社会通念に不服ながらも従い行動してきた。その結果、私の体は強張り、心はどこかへ置き去りにして来てしまったようだ。

まずは自分が自らの心の声に耳を傾け、尊重することが肝要だと心底思う。

2025年2月10日

「その扉の向こうへ」


部活を辞める夢を見た。 


中学3年生のときに友人に誘われ始めた剣道。高校生になり、剣道部に入った。 

入部してみると、想定外に厳しい部活だった。 

慢性疲労の体と部活の時間を恐れる心をなんとか誤魔化す毎日だった。 

「道場に雷が落ちて練習が出来なくなれば良いのに」と何度願ったことだろう。 

部活を辞めることを自分に許すことが出来ず、私は高校3年生の引退時まで部活をやりきった。 

高価な防具や道着を買ってくれた親への後ろめたさもあったのだろう。それに、私は負けず嫌いだった。 

 

もちろん部活をやりきったことで得たものは大きい。しかし、同時に私は我慢することに物凄いエネルギーを消費したのではないだろうか。もし、あの時間を私の本当にやりたかった事に使っていたとしたら・・・? 

 

思えば私は3歳の頃からエレクトーンを習っていたが、これまた「辞めたい」 と言うことが出来ず、結局大学生の頃まで続けてしまった。大人になってから、 練習をしていないのにレッスンの時間が来てしまい、冷や汗を描く夢を何度も見た。

 

私は、“我慢して頑張ること”が良い事だと思い込み、頑張る事で他者から認めて もらおうとしていたのだ。また、途中で辞める事を非難されるのではないかという恐怖心もあった。
 しかし、辞めたいのに我慢して頑張ることが必ずしも本人の為になるとは限らな い。その判断を他人に委ねてしまうのはとても危険な事だ。自分の身を守る事が できるのは、自分だけだからだ。


夢の中で部員達は呼び出され、校内の一室で顧問の先生に叱られるところだった。なぜ叱られることになったのかはよく分からなかった。ちなみにこのシチュエーションは、私の脳内で勝手に作り出されたものだ。
私はその場に居る事に耐えられず手を挙げ、大きな声で言った。 

「私、部活を辞めます。他にやりたい事があるので、そっちに時間を使います。」 

そして、私は静かにその教室を出た。
もう暗くなった放課後の校舎を、ルンルン気分で外へと向かった。
なんとも清々しい気分だった。 

2025年1月31日

「気持ちはどうして生まれてくるの?」

私は子どもの頃から人に気持ちを伝えることにトラウマがあった。
気持ちを否定されることが怖かったのだ。

自分の気持ちに嘘をつき上辺を作ることは嫌だったので、私は自分の殻にこもり口を閉ざした。
けれどもその結果、私は自分の気持ちを表現する事もなく、内に押し込めたまま放置してしまった。
放置された私の気持ちは虚しくも腐り、悔しさと怒りの感情を生んだ。
本当は自分の気持ちを誰かに伝えたかったのだろう。
共感してもらわなくても構わない。ただ尊重して欲しかったのだ。

私は、“気持ち”は神聖なもので、本来誰からも干渉されるべきものでは無いと考える。
気持ちは自ずと生まれてくるものであり、たとえ本人であっても操作出来ないからだ。
気持ちとは、ただ感じとることで認識できるものだ。

気持ちは人を動かすエネルギーでもある。
微かな気持ちは自分でも気がつかない事があるが、気持ちが大きくなると感情として表出する。
大きな怒りは我を忘れさせ、時には思ってもいないことを行動に移させることがある。
普段から自分の心に耳を澄ませる事が、健全に過ごす鍵ではないだろうか。

気持ちを表現することは、人が持つ自然な欲求であると思う。
私は子どもの頃から黙々と絵を描いていた。
絵を描くことが、私にとって一番安心して素直に表現できる方法だった。
私にとって芸術は自由であり、癒しである。

息をするみたいに、当たり前のように、
表現していこう。